名大文芸サークルアップ板

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うろうろ - 弥田

2014/01/18 (Sat) 17:16:25

 夜中にふと酒が尽き、どこかに買い置きがなかったものかと部屋をうろうろすると、床に堆積した雑多な色々の影から、なにやら見知ったような見知らぬようなものが、微震しながらこちらを覗いているのが視界の端にちらちらと見える。女は、ねえ、なに、あれ、と私に尋ねてくるのだが、そんなものは私だって知らない。答えずに無視(シカト)していると緊張のためか女も身体を震わせはじめたので、おい、おまえ、なんだかあれに似てるぜ、と言って笑った。気が緩んだのか女も笑って、一緒になって「あれ」らも笑った。冗談がうけるのは心地いいことで、なんだか気分が高揚したような気がした。あるいはアルコールの作用かも知れない。
 さて、やがて部屋の隅にラム酒の瓶を見つけて、女と一緒に飲み始めた。サンタマリアというホワイトラムだ。瓶にはちいさく船の絵が描かれていた。船は黄昏を背景に東へと進んでいる。雲が厚くかぶさった空は、しかしなお青く、海との接点はわずかに暮れていて、どうも不穏な気配があった。これはどこの海だろう。私達の知っているニッポンの海とも、どこの国の海とも違う気がする。それは我々の国の海だよ。と、「あれ」らは言う。なるほど、と私は思う。一方で納得のいかないところもある。というのも、先ほどとは言っていることが真逆のようだが、そもそも海に国境はあるのだろうか。どうだろう、国と国との取り決めの上ではあるようだけれど。と、女は言う。国と国との取り決めとはなんだろう、それは海と関係するものなのだろうか。さあ、知らないよ、そんなこと言ったら、そもそも国ってなんなのさ。国とはなんだ。たとえばこのラムは海を渡って遠い国からやってきた。西から東へ。あるいはこの絵のような船に乗って。西から東へ。サンタマリアの原産国はフランスで、女は仏文科を卒業していた。女がそこでなにを勉強していたのかというと、なにひとつ勉強をしてこなかった。勉強をしないかわりにただひたすらに考えていたのだ。それも、フランスと仏(ホトケ)の関係について。女は、どうしてフランスがこの仏という文字と結びついてしまったのだろうと、あるいは、どうしてこの仏という文字がフランスと結びついてしまったのだろうということを、四年間ひたすらに考え続けた。そのようなことを大学は教えてくれなかったので、たったひとりで考え続けてきた。例えばフランスにはマルキ・ド・サドがいて、それからジョルジュ・バタイユがいた。彼らは神を否定したが仏は否定しなかった。つまり彼らは仏教徒であったのです。と、出会った当時の彼女は言った。なるほど。と僕はうなずいた。確かに彼らの思想と仏教とは似通うところがあるかも知れないね。どのあたりが? と、これは「あれ」が聞いてきた言葉で、私は「あれ」らに、快楽と死とを同一視してるところなんかだね、と答えて、ラムを一口すすった。我々もそれが欲しい、と「あれ」らは言うが、残念ながら、きみたちはそれを飲むことができないのだ。
 飲み過ぎた女がついに眠ってしまうともう明け方で、飢えて青ざめた夜はいずこへと去ろうとしている。朝の気配が色濃く漂っていて、その匂いや味、手ざわりさえも感じられた。私は散歩に出るのもいいかもしれない、と思った。というのも、私は散歩をしたいような気分になっていたからで、いわば散歩のために散歩を行おうという心づもりで、散歩に出るのもいいかもしれない、と考えたのである。そういった行為は自分が無垢な存在であるような気がしてきていいよね。ところが一方で、その無垢性はほんとうに無垢であるのか、とも考えている。散歩のための散歩とはどういったものだろう、というか、私がいまから散歩を敢行したとして、その散歩は散歩そのものに捧げることのできるものなのだろうか。私は部屋をうろうろしながら考えこんた。このうろうろ、というものは明白に散歩だとは呼ぶことができず、すなわち散歩とは歩行の総称ではなくもっと狭い領域の分野であることが分かる、少なくともそれは屋外にて行われるものでなくてはならない。女は散歩するときには近所に建っている赤レンガのビール工場の脇を通るのが常で、どんなルートを通っても最後にはその道を通過して家へと帰る。彼女の散歩は赤レンガのビール工場に捧げられている。供物、であるよね。我々への? と、「あれ」は問う。どうしてそうなるかな、きみたちはおなかがすいているのかな。そうかもしれない、と「あれ」は言う。続けて、違うかもしれない、とも言う。空腹とはとても悲しい状態で、私たちは腹を満たすために生きているのかもしれないね。フランスと仏との関係を考え込むことなんて、生きるためにはまったく必要がない。散歩のための散歩など。そうかもしれない、と「あれ」は言う。違うかもしれない、とも言う。微震する。
 そう微震している。それだけではない、大きく揺れてもいる。窓から外を覗くともう朝で、空には厚い雲が堆積し、にもかかわらず宇宙じみた青さを有し、端のところはうっすらと橙に染まっている。どこかで見た光景だと思えば、先ほど飲んだラムの瓶の絵の光景で、私は、女は、そして「あれ」は、我々があの船の中にいたことにようやく気がつく。なるほどあの船は、というかこの船は、夕暮れではなく暁の裡を進んでいたのだ。外の空気をすいたくて、甲板に出て、皆でうんとのびをした。我々は西に進む。背後には朝焼け。波をかきわけ、雄々しく進む。遙かに進む。その先には何があるのか。西にはフランスがあるよ。と女は言う。フランス……。そう、フランス。女が煙草をふかすと、煙は遠く置き去りにされて、ああ、彼らはフランスへは辿り着けないのだな、と「あれ」が呟く。

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http://item.rakuten.co.jp/likaman/600125/#600125

Re: うろうろ - 御伽アリス

2014/01/20 (Mon) 00:49:36

フランスと仏の関係について考えるというのは、面白いような気がしました。
「あれ」というよく分からない存在など、暗く奇妙な雰囲気を感じます。
夜と、酒と、海とか、怪しげな魔力がある気がしますね。

「サンタマリア」、飲んでみたいです。

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